1997-05-26 第140回国会 衆議院 決算委員会第四分科会 第1号
それから、有馬口と田尾寺の間でございますけれども、この間の岡場と田尾寺につきまして昭和五十九年に着工いたしまして、それでこの工事、阪神・淡路大震災の影響で会社側はその復旧に手いっぱいであった、こういうこともございまして一時スローダウンいたしましたが、これを再開いたしまして、平成九年度末には完成にこぎつけたい、このような状況でございます。
それから、有馬口と田尾寺の間でございますけれども、この間の岡場と田尾寺につきまして昭和五十九年に着工いたしまして、それでこの工事、阪神・淡路大震災の影響で会社側はその復旧に手いっぱいであった、こういうこともございまして一時スローダウンいたしましたが、これを再開いたしまして、平成九年度末には完成にこぎつけたい、このような状況でございます。
○赤羽分科員 岡場と田尾寺の間でようやく、かなり時期がずれ込みながらも、平成十年度末に完工の予定だということですが、要するに、岡場から神戸都心部に向かっていく需要の方が当然多いはずなんですね。岡場から有馬口、それから谷上経由新神戸、三宮という南に向かっておりていく、これが輸送力を増強するという意味では本当は大事な課題でございます。
○梅崎政府委員 有馬口と岡場の間でございますけれども、私ども、今申し上げましたように、岡場と田尾寺の間が今年度末に完成ということでございますが、その後、やはり有馬口-岡場に着手をする、こういう計画であると聞いております。 残工事につきまして、申しわけございませんが、ただいま手元に資料がございませんので、調査いたしまして御答弁申し上げたいと思います。
○猪熊重二君 農水大臣にこれは質問じゃなくてちょっと申し上げたいんですけれども、ずっといろいろ岡場整備やってきているわけです。だけれども、ほとんど成果が、失礼ですが余り上がらない。なぜかといえば、結局、農地所有権というものに対して何らかのもう少し公共的な制約というものを考えたらどうなんだという点なんです。 要するに土地は所有権があるけれども、しかしそれ以上にもっと考えるべきは利用権なんです。
それから大蔵大臣も触れましたが、新規就農対策、これは新規の就農者が春先のまず研修をするということで、各県の農業者大学校の開校に合わせる、あるいは現地の岡場の勉強をするため等々を合わせますと、やはり四月に始まる大学校等にすぐに研修に参加し得るようにするために早期に事業開始をする必要がある。 さらには果樹対策で二十億と申し上げたのは、御案内のとおり、昨年の秋にリンゴの輸入検疫が解除された。
先生いろいろ御指摘でございますが、例えば農薬農村基盤整備事業におきましても、大区画等高い生産性を上げる岡場整備を重点的に行うというようなこと、あるいはそれらの事業についても、従来はその核となる事業と関連事業とが時間差があったのを同時着工いたして、そして下期を短縮して早期に事業を完了いたすというような措置がとられて、新しい事業として積み上げたものでございます。
時間も、岡場、藤原台というベッドタウンからですと、約五十分から一時間ぐらいかかる。非常に不便なところであります。そこで、一九八八年から、新幹線の新神戸の駅がここにあるということもあって、この六甲山脈、山を突き抜いてトンネルを掘りまして、谷上というところにつないだわけです。これが北神急行電鉄、一九八八年からできたわけであります。
それからいわゆる採種段階の種子の生産自身につきましては、従来と同じように農林水産大臣が定めた面積の範囲内で岡場の指定をして、その圃場について生産物審査、圃場審査を行う。こういうことで従来の制度の枠組みにおける国や県のいわば主導的な役割は維持していくということで考えてまいりたいと思います。
面積で考えてみますと、一応この算定の基礎に考えました岡場整備の進捗率が三二%、これはもっとも四十年から四十五年の実績をとって三二%でございます。長期計画の目標が八十五万ヘクタールという圃場整備事業をやるということに対して二十七万六千ヘクタール、進捗率三二%。それから農地造成が三十五万ヘクタールの予定をいたしておりましたが、四十五年までの実績は十五万七千ヘクタール、進捗率四五%。
しこうして、このように試験岡場における成積と栽培農家の段階における実積との間において大きな懸隔を生じている理由にはいろいろなことが考えられまするが、われわれの見聞した範囲では、その主なる原因は次の通りであります。
何か仕事はないでしようか、こういう事情にあるので、困るのですけれどもと言つたら、ここは炭坑だから坑内でも岡場でも仕事があるから、じや浦和さんを寄越すようにというので、それで浦和を連れて行つて。置いて來たのです置いて來たら直ぐ又駅へ追つ駆けて來て、俺一人置かないで一緒になつて呉れなくてもいいから、近所でもいいからいて呉れと言つて聞かないのです。それで又勝間さんの家へ戻つて相談したのです。